期待しない人間の言い訳

http://deztec.jp/design/06/02/26_life.html

映画の力と馬鹿な大人
私は映画にせよ何にせよ、それほど期待していないからなあ……。何かの役に立つと思って映画を見せたがる大人のことを「やっぱ人間って、歳をとると馬鹿になるのかね?」と思ってたあの頃(いつ?)の気持ちを思い出そう! 「ホテル・ルワンダ」を観賞して感動するのは、最初からその主張に共感するところのある人だけでしょう。だから、嫌韓の人は、嫌韓の心情に影響しない形で都合よく感動する。それだけのことです。

映画ひとつ見て価値観が変わったなんてウソに決まっていると思っていい。「感動した」という言葉を否定する必要は全くないのだけれど、「そうかー、わかってくれたかー!」と口には出しても頭の中でまでそう思ってちゃダメだって。ま、ダメってこともないか。ようやく実感としてわかってきたことですが、「馬鹿な大人」になると、主観的に幸せになれるんですよね。何らかの価値観を奉じて、信じて、感動して、裏切られて、恨んで、愚痴って、憎んで、抑圧する。ちょう楽しい。

すまん、何が言いたいのかまったくわかんね。
強いて言えば「私は映画にせよ何にせよ、それほど期待していない」というエクスキューズが全ての言い訳になってる。このエクスキューズが下の言い訳を全て台無しにしてる。
あと映画好きのオレに言わせてもらうと「映画ひとつ見て価値観が変わった」ってのは、あるよ。自分そうだし。
あと口に出した時点で頭の中で一瞬でもそう思った自分がいたわけで、頭の中までそう思ってちゃダメってのがあとづけっぽい言説で痛い。
それから矮小な人間における「主観的な幸せ」以外の幸せってなんなのか教えて欲しいんだが。